【体験談】志望校に全落ちした浪人時代。7年後に浪人した意味に気付けた話

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浪人した経緯

当時の私は県内でもトップクラスの高校に通っていました。

進学校にありがちですが、進学校にいるだけで自分も頭良い気になる現象があります。

当時の私も、もれなく勘違いタイプでした。

当然、現役合格は失敗。

周りも浪人しているし、違和感なく浪人生活を開始しました。

心境としては「一浪すれば良い大学へいけるだろう。」と楽観的でした。

浪人結果

浪人に対して楽観的ではありましたが、それでも1年間必死に勉強しました。

高校の同級生は充実したキャンパスライフを送っている中、自分は予備校には毎日通い、朝から夜まで勉強しました。

1年間旅行も行かず、これと行った娯楽も我慢して。


結果「ほぼ全落ち」。

唯一合格したのが滑り止めで受けていた大学でした。

しかもセンター利用で。

センター利用とは「センター試験(共通テスト)の結果を利用して、国立大学や私立大学に合格できる制度」のことです。

その結果が現役でも受かるような大学に入学。


しかし、あと1ヶ月あれば良い大学へ行けたかと聞かれると無理だったと思います。

精一杯やっての結果なので、自分はその程度の頭なのだと受け止めるしかありませんでした。

もう全てがどうでも良かったです。


「誰かの格言」と「母の顔」で救われた。

私が立ち直れたのは「誰かの格言」と「母の顔」のおかげでした。

うろ覚えですがその格言の内容は↓です。

・自分の大学を馬鹿にできるのは、そこで一番になった人だけだ。

 何も成していない、何も行動せずに批判だけするのはみっともない。

 あなたはその大学でまだ何もしていない。

そして、自分に一番効いたのが、「落ち込んでいる自分を見る母の顔」でした。

とても悲しそうな顔をしていて、今でも覚えています。

その顔を見た時、「このままじゃダメだ。この滑り止め大学で全てを吸収して卒業してやる。」と決心しました。

大学へ入学

大学へ入学して授業も始まりました。

授業レベルも低い、周りの人も何か幼い感じでしたが、そんなことはどうでも良かったです。

自分が成長する為にできることは何でもやる」という気持ちの方が強かったです。

当時イメージしていた「何でも」とは以下の4つです。

・大学の授業

・サークル

・バイト

・キャンパスライフ

幸いなことに、大学のレベルは自分より低いと思い込んでいた私は、新しいことにも臆すること無く取り組めました。

大学の授業は、少し本気を出せば上位に入れます。浪人の勉強量に比べたら朝飯前です。

サークルでは部長を経験しました。良くも悪くも一浪したことによる余裕があったのだと思います。

バイトも大学1年から大学院卒業まで続けています。

本当に仲の良い友人もできてキャンパスライフを充実させました。

大学院では複数の学会に参加して賞を受賞し、奨学金も全額免除できました。


就活で自分を支えてくれたこと

結論から言うと、就活は大成功でした。

最大手企業の最終面接でその場で内定をいただけています。

そんな就活を一番自分を支えてくれたこと。

それは、19歳の浪人生の自分自身でした。

大学で部長を経験したことでも学会に出て賞を取ったことでもありません。

現在の大手企業の面接では部長や賞のことは面接では話していません。

19歳の自分が地獄を味わって必死に努力して、それでも打ち砕かれた経験が今になっても自分を支えてくれています。

全落ちした浪人生へ

もし私が浪人せずに志望校へ合格していたら、

部長も経験できず、学会で賞も取れず、大手に内定をもらえなかったと確信しています。

どうか腐らないでください。

腐ってしまったら苦労した浪人の日々が本当に無駄になってしまう。

あの地獄の日々を経験したあなたなら、きっとこれから活躍できる。

私を落としてくれた大学達、ありがとう。

自分よりレベルが低いと思っていた大学には、最高の友人や人生を変える経験が山ほどありました。

その環境を活かすも殺すも自分次第です。

どうか腐らないでください。

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